引き継ぎを受ける側のチェック : 条文に義務が無いから、受け取る側が決める
辞める人ではなく、残って受け取る側の話です。「引き継ぎ資料をください」と頼んだものの、何をどこまで求めていいのか分からない。そこでつまずくのには理由があります。
引き継ぎの義務は、法令にも国のひな形にも書かれていません。 だから「どこまでやるのが普通か」の正解が外側に無く、受け取る側が決めるしかない構造になっています。
この記事は法令と公表資料の整理であり、個別の労務相談への回答ではありません。実際の対応は自社の就業規則と情報管理規程に従ってください。
引き継ぎの条文は、国のひな形にも無い
厚生労働省のモデル就業規則(令和7年12月版・2026-09-06 確認)を通して見ても、「引き継ぎ」を定めた条文はありません。近いのは第16条(個人情報保護)2項です。
労働者は、職場又は職種を異動あるいは退職するに際して、自らが管理していた会社及び取引先等に関するデータ・情報書類等を速やかに返却しなければならない。
これは「返す」の定めであって、「教える」の定めではありません。第11条(遵守事項)にも、在職中および退職後の機密保持の定めはありますが、業務を後任に伝える義務は出てきません。
つまり、引き継ぎの範囲を決めるのは、法令ではなく自社の就業規則と、その場の合意です。 「常識的に考えて」で押し合うと平行線になるので、期限と項目を先に紙にするほうが早く終わります。
受け取る側が最初に押さえる3つの日付
| 日付 | 何が起きるか |
|---|---|
| 最終出社日 | 対面で聞ける最後の日。有給が残っていればここで会えなくなる |
| 退職日 | 籍が切れる日。アカウント停止が走ることが多い |
| 申し出日 + 2週間 | 民法627条1項の下限。就業規則の予告日数と食い違うことがある |
有給の残日数によって、最終出社日は退職日よりかなり前に来ます。労働基準法39条2項の表は、6か月経過日から起算した継続勤務年数に応じて加算日数を定めています。1年で1労働日、2年で2労働日、3年で4労働日、4年で6労働日、5年で8労働日、6年以上で10労働日です。合計すると勤続6年半以上なら年20日になります。20日分が丸ごと残っていれば、1か月近く会えない期間ができます。
残日数の数え方は 退職時に有給は何日残っている? に、日付の並べ方は 退職日の逆算カレンダー にあります。引き継ぎの締め切りは、退職日ではなく最終出社日から逆算してください。
受け取る側のチェック項目
条文で決まっていない以上、こちらから項目を出すことになります。実務で抜けやすいのは次の6つです。
- 進行中の案件と、それぞれの次の期限(誰が待っているか)
- 外部の連絡先(担当者名・窓口・過去の経緯がどこに残っているか)
- アカウントとアクセス権(何のIDで何にアクセスしていたか。退職日に止まる)
- 保管場所(共有ドライブのどこか。個人フォルダに置かれていないか)
- 定例で発生する作業(月次・年次のもの。最終出社日までに一度も来ない作業が抜ける)
- 暗黙の判断基準(過去に何を断り、何を通したか。資料に残らない部分)
このうち 3と6が最も残りにくい部分です。3は退職日に自動で消えるので、期限が硬い。6は本人の頭の中にしかないので、質問しないと出てきません。
記録の保存期間は「当分の間3年」
「いつまで取っておくのか」は、労働関係の書類については条文があります。労働基準法109条(e-Gov 法令検索・2026-09-06 確認)は次のとおりです。
使用者は、労働者名簿、賃金台帳及び雇入れ、解雇、災害補償、賃金その他労働関係に関する重要な書類を五年間保存しなければならない。
ただし、同法143条1項に経過措置があります。
第百九条の規定の適用については、当分の間、同条中「五年間」とあるのは、「三年間」とする。
本則は5年、当分の間は3年という二段構えです。片方だけを見て「5年です」「3年です」と言い切ると食い違うので、ここは両方セットで覚えるのが安全です。なお、これは労働関係の重要書類の話であって、業務資料一般の保存期間を決めた条文ではありません。
引き継ぎファイルの受け渡しで気をつけること
引き継ぎのために顧客リストや連絡先を一括で送る場面が出てきます。手がかりは個人情報保護委員会の「ガイドライン(通則編)」です。2026-09-06 に確認した版は、「漏えい」の考え方として次の事例を挙げています。
【個人データの漏えいに該当する事例】 事例1)個人データが記載された書類を第三者に誤送付した場合 事例2)個人データを含むメールを第三者に誤送信した場合 事例3)システムの設定ミス等によりインターネット上で個人データの閲覧が可能な状態となっていた場合 (後略)
同ガイドラインには、次のただし書きも置かれています。
なお、個人データを第三者に閲覧されないうちに全てを回収した場合は、漏えいに該当しない。
報告の期限についても目安が示されています。
「速やか」の日数の目安については、個別の事案によるものの、個人情報取扱事業者が当該事態を知った時点から概ね3~5日以内である。
引き継ぎは、普段送らない相手に、普段送らない量のデータを送る場面です。宛先の確認だけは、忙しくても飛ばさないほうがよい理由がここにあります。
「後任がいない」と言われたら
引き継ぎ先が決まらないまま最終出社日が来ることがあります。この場合でも、退職の効力は止まりません(民法627条1項)。止まらない以上、残る側にできるのは「聞ける時間を前に寄せる」ことだけです。
- 最終出社日の当日を引き継ぎ日にしない(返却・挨拶・書類で埋まる日です)
- 資料は共有の場所に置いてもらう(個人フォルダは退職日に見えなくなることがある)
- 聞き漏らしに備えて、質問できる期間があるかを確認する(義務ではないので、合意事項になる)
辞める側の相場観は 退職代行を使うときの引き継ぎは最低限どこまで にまとめています。当日の動きは 退職の挨拶はいつ・誰に にあります。
義務が無いぶん、項目と期限はこちらから出す
- モデル就業規則に引き継ぎの条文は無い。あるのは第16条2項の「返却」の定めだけ
- 締め切りは退職日ではなく最終出社日から逆算する(有給が残ると最大で年20日ぶん前倒し)
- 抜けやすいのはアカウント・アクセス権と暗黙の判断基準
- 労働関係の重要書類の保存は本則5年・当分の間3年(労基法109条・143条1項)
- 引き継ぎでのデータ送信は誤送信のリスクが上がる。漏えいの報告は概ね3〜5日以内が目安
- 後任が決まらなくても退職の効力は止まらない(民法627条1項)
義務が無いということは、頼めば通る余地もあるということです。項目と期限をこちらから出せば、たいていは話が早く終わります。
出典(すべて 2026-09-06 に確認)
- 厚生労働省「モデル就業規則」(令和7年12月版)第11条・第16条
- e-Gov 法令検索「労働基準法」39条・109条・143条
- 個人情報保護委員会「ガイドライン(通則編)」3-5-1-2
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